ー基礎的研究と臨床応用ー

京大医学研究科耳鼻咽喉科・頭頸部外科学
伊藤壽一


研究目的
 本研究は再生医学を利用し、高度難聴者(補聴器使用でも言葉の聞き取りが出来ない難聴者。完全聾者を含む)の聴覚を回復し、言葉を聞き取れるようにすることを目的とする。

 現在わが国には身体障害6級以上の高度難聴者が約30万人存在し、そのうち補聴器でも言葉の聞き取りが困難な3級以上の高度難聴者が約15万人存在する。これはあくまで身体障害の認定を受けている方々であり、実際はさらに多くの高度難聴者が存在すると考えられている。このような高度難聴者に対し従来は治療手段が全く無く、難聴者達のコミュニケーション手段は、手話、口話(読唇法)、筆談に頼っていた。

 これらの高度難聴者に対し、工学を利用した内耳の研究が進み、わが国でも約15年前より臨床応用されている。人工内耳は内耳に蝸牛神経刺激用の電極を挿入し、音刺激を電気信号に変換して聴覚を回復せしめようとするものである。人工内耳は高度難聴者に対しては大きな福音であるが、現在の人工内耳は、静かな環境で、1対1の会話で、できれば口話も併用して簡単な会話を聞き取れる程度のものである。これは、約15.000個ある内耳の感覚細胞を約20個の電極で代用しようとすることに限界があるためであると考えられる。また、現在の人工内耳は海外からの輸入医療であり、電極の費用も1件につき200万円以上必要である。昨年のわが国の人工内耳手術数は約400人であり、電極費用で約10億円が海外に流出し、これから年々その数が急速に増大する傾向にある。しかも、その結果は必ずしも患者にとって満足できるものではない。

 本プロジェクトは全く発想を変えて、障害を受けた内耳感覚細胞(有毛細胞)を再生させることにより、高度難聴の治療を目指すものである。



現状と今後の課題
 わが国には約30万人の高度難聴者が存在する。難聴の原因疾患は、原因不明の進行性感音難聴、突発難聴、メニエール病、薬物による難聴、加齢による難聴など多岐にわたるが、その大多数は内耳障害による難聴である。さらに、難聴の原因はそれぞれ異なるが、病態的には大部分は内耳感覚細胞の障害による難聴であり、内耳のその他の構造、機能などは正常に保たれている。言い換えれば、内耳感覚細胞の機能回復、再生が可能であれば難聴は回復すると考えられる。



本プロジェクトの研究概略
 我々が海馬由来の神経幹細胞をラットの内耳に注入したところ、幹細胞が内耳に生着し、一部内耳感覚細胞に変化するような結果が得られた(Acta Otolaryngol 121:140-142, 2001)。現段階では、組織学的な結果のみであるが、機能的にも聴覚が回復するかどうかが今後2〜3年間の検討課題である。また、移植材料として、神経幹細胞を利用したが、内耳由来幹細胞が分離できるかどうかを研究し(本研究に関しては我々のグループでほぼ分離に成功している:未発表)、内耳幹細胞の移植の研究を行なう。さらにES細胞(笹井教授グループより供与)も移植材料として使用する予定である。
ES細胞から内耳感覚細胞の前駆細胞を作ることは2〜3年で可能と考えられ、それを動物の内耳に投与し、内耳感覚細胞に変化させることも5年以内には可能と思われる。最終的にはサルなどの霊長類での実験を経て実際の臨床応用へ進む予定である。

 以上のプロジェクトを推進するためには、内耳感覚細胞障害の際の情報伝達機構障害の解明、関係する遺伝子、増殖因子、転写因子などの研究、さらに薬物による内耳感覚細胞障害の分子機構の解析などの研究を平行して行う必要がある。



参考

内耳の解剖

聴覚伝導路
 音は空気の振動(機械刺激)として外耳から中耳を経て内耳に伝導される。内耳ではこの機械的な刺激を周波数に分解し、電気信号に変換して蝸牛神経を経て中枢神経系に送る役目を果たす。この中で最も重要な働き(音に対する感受性を高め、電気信号を蝸牛神経に伝える)のが内耳の感覚細胞(有毛細胞)である。有毛細胞は2種類あり、その数は人間では合計約15.000個である。

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